神になった日本人巡査…森川清治郎(1861~1902)台湾・嘉義


 





人口約2000人の台湾中部・嘉義県東石郷副瀬村。道教 ( びょう )「富安宮」に、「義愛公」という神が祭られている。剣を手に警察の制服姿で鎮座するこの神は、日本統治時代、村の派出所に一人、勤務した森川清治郎巡査だ。


 半農半漁の貧困村で森川は、警察の任務の傍ら、無償で子どもたちに学問を教え、農業指導もした。同村出身で義愛公信仰を研究する虎尾科技大学(雲林県)助手、黄国哲さん(29)によると「謹厳実直で、義理堅く、また人情も厚く、村民の敬愛を集め、村に溶け込んだ」。


 だが、誠実な性格ゆえ、自ら人生を閉じることになる。1902年、台湾総督府は漁業税徴収を始めた。貧しい村民に支払いは無理と考えた森川は、地方官庁に出向き、税の軽減を請うた。しかし、官庁の責任者から「警官でありながら、村民を扇動するつもりか」と叱責を受け、戒告処分に。森川は村民にいたらなさをわび、数日後、朝の巡回を終えると火縄銃をノドに当て、足で引き金を引いた。


 義愛公信仰はそれから21年後に始まる。当時の村長、李九が、「夢枕に森川が立った」と証言した。


 「私を義愛公と名付け祭るがよい。村を守り、村民を病から救おう」――。ペストが猛威を振るった時期。李九は、いくつかの具体的予防策を告げる森川の声を聞いた。李九は富安宮内に義愛公を祭り、村全体でお告げを守った。近隣地域に多くの死者が出たが、村には罹患 ( りかん )者がほとんど出ずに済んだ。


 義愛公は病の治癒などで霊験を現し始める。李賊という農民が神がかりとなり、義愛公のお告げを伝える「タンキー」(霊媒師)となった。難病はもちろん、風邪の治療も「神頼み」。富安宮でお祈りすると、義愛公が李賊にひょう依し、薬の処方を書く。信者は漢方薬店で薬をもらう。


 村の出身で現村長の林泰平さん(68)は「李賊が亡くなる約40年前まで、義愛公に薬を処方してもらう人が大勢いた。7~8割の病が治った」と話す。


信仰に衰えなし


医学の発達、地域医療サービスの充実で、義愛公に薬を請う人は少なくなったが、信仰に衰えは見られない。旧暦4月8日に執り行われる例大祭は村民挙げてのイベントだ。また、義愛公は村ゆかりの者により、周辺地域や南部・高雄、北部・新北市など10か所以上に分祀 ( ぶんし )されている。うち2か所にタンキーがいる。


 信者と義愛公の距離は近い。信者たちは、ポエという三日月形の木片二つを使う、道教独特の占いで、日常的に就職、縁談、受験などの相談を持ちかけ、時には商売、バクチでの一もうけについても伺いを立てる。虫のいい「神頼み」も許してくださる。そんな気安さが、今も人の心を引き付ける。


 そして信者は口をそろえる。「すごく霊験あらたかなんです」(文と写真 源一秀)


 


森川清治郎



甲府市生まれとされる。1897年に渡台。妻子を残し自決するまで


のほとんどを、嘉義県東石郷副瀬村で巡査として勤務する。道教で


は、関帝など人間が神となった例はあるが、森川のように近代の人物


がまつられるのは異例。ただ、台湾では、植民統治時代の日本人が


神となった例は、ほかにも見受けられる。


 


 



 



副瀬村にほど近い嘉義市の富義宮で例大祭のため義愛公の神像を祭壇に置く信者たち。約40年前、富安宮から分祀された



 


 



 



廃虚として残る李九・副瀬村元村長の家。義愛公信仰の発祥地だ


 



(2012年6月8日 読売新聞)

 


資料來源:


http://www.yomiuri.co.jp/otona/trip/earth/20120601-OYT8T00691.htm


 


 


 


 

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